現役住職三十一歳、大学生になって早四カ月、六分の一が終わりました。
入学を決めた時には、大勢の方から応援の言葉をいただいた半面、遊び目的とも揶揄されましたが、賛否共に原動力となっています。最近では、「大学生活はどう?」と聞かれる事もしばしば。
学ぶことの楽しさを素直に伝えると、羨ましがられたりもします。社会経験を積んでから改めて学ぼうとしても、仕事・家庭環境などの理由から、志半ばの方が多くいるのだと気づかされました。その点、この年で大学に通う事が出来る環境が、いかにありがたい事であるかを、しみじみ感じるところです。
学ぶ上で最近心がけているのは、同じジャンルの本を何冊も見比べるという事です。最近では書店に行くと「誰でもわかる!!」というキャッチフレーズの本をよく見かけます。
また、ネットやユーチューブでは、さまざまな解説動画があげられており、誰でも、どんなことでも、簡単に情報が得られるようになりました。そこで、気を付けなくてはいけないのは、分かりやすさを重視するあまりに、誤った情報が横行しているという事です。
特にネットの情報源は、専門家と名乗られれば、それが正しい情報であると信じてしまいます。誰でも簡単に発信も受信も出来る時代。だからこそ、すべてを真に受けるのではなく自分の頭で整理し、正しい情報の根拠を調べる力が大切になってくるのだと思います。
さて、仏教の起源は二千五百年前のインドに遡(さかのぼ)ります。歴史上で、何かを発明したり物を残したのでなく、言葉や生き方で最も人類に影響を与えた人物、それがお釈迦さまです。お釈迦さまの教えは、インドから各地へ伝わりました。日本へは中国、朝鮮半島を経由してやってきました。
その間、計り知れない数の僧侶・信者・人々が学び、伝え、各地の風習と混ざり合い変化していきました。日蓮宗は日本でも歴史ある宗派ですが、仏教全体でいえばとても小さな宗派なのです。
おそらく、大学でどんなに学んでも、本を読んで知識を得ても、私が学んだこと全てを発信する事は出来ないでしょう。一割にも満たないかも知れません。では、学ぶことに意味はあるのかと問われれば、そうではないと思います。一割に満たないかも知れない情報の質と量を高めるには、学びを絶やさず分母を増やし続けるしかありません。
かつて恩師に言われたことがあります。「面白い映画ってのは、十本見たらせいぜい二本ぐらいしかない。でも、面白い映画を知るにはたくさん観るしかないんだよ。」
名は体を表す
大学の講義の中で先生から、「自身の名前の由来を知っていますか?」と質問をされました。皆さんは、自分の名前について考えたことや、ご両親から聞いた事はあるでしょうか。
「名前は親から与えられた最初のプレゼント」という言葉も耳にします。名はただの呼び名ではありません。きっと、こんな人に育って欲しいという、名づけた人の思いが込められているはずです。
そう考えてみると、当たり前である名前にも、ありがたみと愛着が湧くような気がします。「名は体を表す」と言うように、その人の姿・生き様を表すものが名であると言えるでしょう。
仏教の祖であるお釈迦さまは、釈迦族という小さな国の王子として生を受け、「ゴータマ・シッダッタ」と名づけられました。「最上の雄牛・目的を達成した者」という意味があるそうです。一族の王様であるお父様が、優れた跡取りとなるようにという思いを込めて付けたと伝えられます。
しかし、王様の願い叶わず、シッダッタ王子は王位を捨て真理を求め出家しました。そして悟りを開かれた後、正しく悟りを得たもの・覚者という意味の「ブッダ(仏陀)」と呼ばれるようになりました。ちなみに「お釈迦さま」という呼び名は、釈迦族にお生まれになった尊い方という愛称で、本名ではありません。
日蓮聖人も、ご自身の名前をとても大切にされた方です。日蓮聖人は生涯の中で二度、名前を変えられました。幼き頃の名は「善日麿(ぜんにちまろ)」、十六歳で出家した時には「是聖房蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)」と名を改めました。そして、三十二歳、法華経とお題目を弘める決意をされた際、「是聖房蓮長」から「日蓮」と名を改められたのです。日蓮聖人の「日」は「太陽」、「蓮」は「蓮華」を表し、どちらも法華経の経文が由来となっています。
日蓮聖人は、ご自身の名前の意味について
「法華経という教えは、譬(たと)えてみれば太陽と蓮華である。物を見るには明かりが欠かせないが、太陽の光は最も明るく優れている。蓮華は泥沼に生息しているけれども、その泥に汚されることなく清らかさを保っている。清らかさ、気髙さにおいて蓮華に勝るものはない。この二つの意味をこめて妙法蓮華と言うのである。日蓮の名も太陽と蓮華が由来である。この名は私の人生、信仰そのものである。」
とお手紙で書かれ、ご自身の強い自覚と教えを弘めるという決意が感じられます。
与えられた使命、あるべき姿、自身の全ての象徴となるのが名前といえるでしょう。
誇りある大切な自分の名。今一度思い起こし、これまでの半生と、これからの生き方を考えてはいかがでしょうか?