音林浴

月三十日(日)、ピアニスト・加藤優実さんと四名の生徒さんをお招きし、雲澤寺四八五年の歴史で初となる、クラシックコンサートを行いました。

静寂に包まれ心地良い風が吹く雲澤寺に音を添えたい。三十四代目の住職を継承した時、ひそかに抱いていた思いでした。まもなくしてコロナが各地で蔓延し、雲澤寺での諸行事も規模を縮小しての開催となってしまいました。なにか自分らしいお寺づくりは出来ないかと、四六時中考えるも実行に移すことが出来ない日々でした。

そのような中、友人からMさんを紹介されました。今年二月、Mさんがピアニスト・加藤優実さんの演奏会をSNSで告知したのを見て、魅力的なプログラムに惹かれすぐにチケットを取りました。Mさんは加藤さんの友人でもあり、生徒でもあったのです。

加藤さんは、来場者の名前を自ら把握しており「光翔」という変わった名前が目に入ったそうです。しかも「光翔」という人物はSNSでMさんとも繋がっている。不思議に思った加藤さんはMさんに尋ねたところ、僧侶であることを聞いたようです。

コンサート当日の終演後、少しだけご挨拶する機会をいただき、かつて調律を学んでいたことを話しました。わずか三十秒程度の会話だったと思います。

その後、加藤さんとMさんの間で、生徒さんの発表の場をつくりたいという話になり、そこで候補として名前が挙がったのがなんと「雲澤寺」でした。下見に来ていただいた際、たくさんの方々がお安みになっている本堂だからこそ、ピアノの音色を届けてほしいとお願いをしました。

ところが、調律から十年も離れてしまった私は、プロの演奏家が弾くピアノを調整する自信がありませんでした。そこで、かつて共に学んだ友人夫婦に調整を依頼することにしました。友人夫婦は、二か月も前から修理に当たってくれ、当日も含め三度もお寺へ足を運んでくれました。よほどのコンサートでない限り、ありえない程の手厚いサービスだと思います。

私の愛機である木目調の中古ピアノは、ピアノ運送に依頼し本堂まで移動していただきました。運送会社の方は、なんと私の通った調律学校のOBで大先輩でした。今までの人生の伏線が面白いように回収されていく感覚でした。奇しくも、コンサート当日の七月三〇日は十年前、「光翔」と名を改めた日でもありました。

当日は晴天にも恵まれ、約百名もの方にご来山をいただきました。その中でも、雲澤寺に初めて来たという方は三割ほどいらっしゃったと思います。

三年半前の法燈継承式の祝宴、雲澤寺に多くの人が集まるようにと舞っていただいた「きらく会」による万燈、『ほたるこい』の祈りが実現した瞬間でした。

加藤さんは雲澤寺の雰囲気に合わせて、フランスの作曲家・ドビュッシーを中心としたプログラムを考えてくれました。中でも私が印象的だったのは、一曲目の「沈める寺」です。沈める寺、、、初めて表題を聞いたときは、なんて縁起の悪い曲名なんだと思ってしまいました。フランスに伝わる伝説、一夜にして水没したという大都市が題材となっている曲です。海底から聞こえる大聖堂の鐘の音を、ピアノの最低音で表現した壮大な曲です。その音色は、ふだん人目につくことがなくとも確かにたたずみ、鐘の音が響きわたる山里のお寺「雲澤寺」を表現しているようにも感じました。

「安ふ楽や 龍の居なおる 雲の井に 天女の鼓 聞こゆうれしさ」

雲澤寺の名前の由来となった日伝上人の詩です。開山上人がこの地にたどり着いた時、龍が安まり、天女が太鼓を鳴らしているように感じられた感動を、四八五年の時代を超えて追体験している気がしました。西洋に伝わる鐘の音は、東洋の日本においても胸を打つ。音楽は人種・国境・時空を超えるのだと改めて感じました。

風のささやき、セミの鳴き声、鳥のさえずり、池に流れる水の音、雲澤寺を包む自然とピアノの音色が見事に調和された、美しい演奏会となりました。 

人の縁とは不思議なものです。友人から紹介されなければ。リサイタルに行かなければ。ピアノを買っていなければ。調律を学んでいなければ。まさしく一期一会の出会いが生んだコンサートでした。

今回ほど過去の自分に感謝した日はありません。今回の演奏会のように、未来の自分が今の自分に感謝出来るよう、一期一会の出会いを大切にして励んでいきたいと思います。

「もし説法者、空(くう)閑(げん)の処(ところ)に在らば、我時に広く天・龍・鬼神(きじん)・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅(あしゅら)等を遣わして、その説法を聞かしめん。」

法華経の第十番目の教え『法師品』に説かれる一説です。

「わたし(お釈迦様)の代わりに教えを説く者が、誰もいないような静かな場所で法を説こうとするならば、わたし(お釈迦様)は神やあらゆるものを遣わして教えを聞かせよう。」お釈迦様が亡くなった後、代わりとなって教えを弘める者への激励にも思える温かいお言葉です。

やはり仏様は見てくださっていました。

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雲澤寺は、山深くお世辞でもアクセス良好とは言えない場所ではありますが、喧騒を放れゆったりとした時間を過ごすことが出来ます。
緑と静寂に包まれた雲澤寺で、仏様の教えに触れてみてはいかがでしょうか。

気づかい・思いやり・心くばりを大切に。
皆さまのご参詣をお待ちしております。

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