同事

新年あけましておめでとうございます。
国内外に問わず、さまざまなニュースや事件が起こった令和四年。
激動の一年も光陰矢の如し。あっという間に幕を閉じました。

大晦日の夜は除夜の鐘が三年ぶりに響き渡り、久しぶりに雲澤寺らしい新年を迎えることが出来ました。
私も新年早々水行を行い、より身が縮こま・・・締まる思いがしました。

さて、令和五年の干支は「癸卯」(みずのとうさぎ)」です。
癸みずのとは十干じっかんの最後に当たり、水の気を表します。癸みずのとは雨粒や霧のように一粒は小さくても、集まって大地を潤す恵みを示します。

また、十干じっかんの最後に当たるため、一つの物事が終わり新たな始まりの年でもあります。ウサギは安全の象徴という意味が込められています。

また、ウサギの特徴といえば跳躍力。飛躍や向上という意味も込められているそうです。卯(う、うさぎ)は〝ボウ〟とも読み、茂(しげる=ボウ)冒(おおう=ボウ)に通じており繁殖する、増えるという段階にあたります。

地面を割って芽吹き、やがて大地を覆い尽くす草木の勢いと、寒気が去り春が訪れた様子を示します。また「卯」という字の形が「門が開いている様子」を連想させることから「冬の門が開き、飛び出る」という意味があると言われています令和五年の運気を考えると、世の中もようやく冬の寒気から脱出して、春の陽気にホッとするような一年になりそうです。国外での争いも落ち着きを取り戻し、多くの方々が平穏に暮らせることを祈るばかりです。

野原を軽快に飛び跳ねるウサギのように、私も心穏やかに次なるステップを踏むような一年にしたいと思います。皆様にとっても穏やかで躍動の年となる事を祈念いたします。

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同事

お釈迦様が祇園精舎で過ごしていた時のことです。
コーサラ国という大国の王パセーナディは、美しき王妃マリッカ―夫人とともに幸せな日々を過ごしていました。

ある月の美しい夜、二人は城の高い塔で月を眺めていました。青い月の光を浴びながら、美しく賢い夫人に満足していた王が訊ねました。

「マリッカーよ、お前がこの世で一番愛おしく思うものはだれか。」

「王さま、あなたです」という答えを王は期待していましたが、マリッカーは答えました。

「正直に申し上げますと、自分より愛おしい者はおりません。」

期待を外された王は耳を疑いました。さらにマリッカーは同じ質問を王にしました。

「マリッカーよ。確かに、わたしにとっても自分より更に愛おしい者は存在しない。」

マリッカーは二人の意見が一致したことに安心し喜びました。しかし、パセーナディ大王はこの答えに満足できませんでした。悩んだパセーナディ大王は、マリッカーを連れてお釈迦様のもとへ赴きました。

「お釈迦様、わたしはマリッカーにこの世で一番愛おしく思うものはだれか訊ねましたが、自分より愛おしい人はいないと答えられました。正直に申しますと、私も自分より愛おしい者はいないように思います。しかし、それではお釈迦様が説かれる慈悲や施しの教えに反する気がしてならないのです。」

するとお釈迦様はこのようにお答えになられました。

「どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりも更に愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他の人々にとっても、それぞれの自己が愛しいのである。それ故に、自己を愛する人は、他人を害してはならない」

パセーナディ大王はその教えを聞いて喜び、宮殿へと戻っていきました。というお話です。

お釈迦様は自分を一番愛おしいと思うことに悩むパセーナディ大王に対して、

「みんなそうだよ、だからこそ周囲の人を傷つけてはいけない。自分自身が本当に大切なら、相手が傷ついた時の痛みも、傷つきたくないという気持ちも分かるだろう。」

自分を相手の立場に置く姿勢を説かれたのです。

このような姿勢を仏教では「同事」といいます。近頃問題となっている、あおり運転・ネットの誹謗中傷など、人を悩ませる行為の原因の一つは「同事」の欠如からくるのではないでしょうか。

多種多様な人とあらゆる形でコミュニケーションが取れるようになった時代だからこそ、自分を他者の立場に置く姿勢がより求められている気がします。

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雲澤寺は、山深くお世辞でもアクセス良好とは言えない場所ではありますが、喧騒を放れゆったりとした時間を過ごすことが出来ます。
緑と静寂に包まれた雲澤寺で、仏様の教えに触れてみてはいかがでしょうか。

気づかい・思いやり・心くばりを大切に。
皆さまのご参詣をお待ちしております。

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