お盆は特別で幸せな日

第二次世界大戦の終戦から、今年で七十六年が経ちました。戦時中の悲惨さや戦後の復興の苦労は、想像を絶するものがあったでしょう。体験のない私が、軽々しく口に出す事ではないのかも知れません。

しかし、この時期になると戦後の日本を救った、一つのエピソードを思い出します。
第二次大戦で敗戦した日本は、連合国の占領下に於かれ独立国であることを奪われました。一九五一年、日本を国際社会に復帰させ、独立国に戻すか否か協議がされました。サンフランシスコ講和会議です。

会議の中では各国の代表が日本に対し、
「私の国は戦時中、日本からこんなひどい目に合いました。日本が国際社会に復帰するには、多額の賠償金を払わなければ許すことは出来ない。」
と戦後賠償金を要求しました。

日本は独立国であることを奪われています。独立国に戻る為には、各国の要求を呑むしかありませんでした。日本が窮地に陥った中、セイロン(現在のスリランカ)の代表ジャヤ・ワルダナさんが壇上に立ちました。

当時のセイロンは、イギリスの植民地だったため日本とも戦争をしています。当然、セイロンからも多額の請求を受けるだろうと、日本側は予想をしていたでしょう。しかし、ジャヤ・ワルダナさんはこのように語られました。

『私たちセイロンは、日本に対する戦後賠償を放棄します。セイロンは仏教国です。かつてお釈迦さまはこのようにお説きになられました。
「実にこの世においては、恨みに報いるに恨みをもってしたならば、ついに怨みの止むことがない。怨みを捨ててこそ止む。」』
最古の仏教経典といわれる『ダンマパダ』に説かれた教えです。

会場では満場の拍手がおき、セイロンの主張に賛同した各国の代表は、次々と賠償請求を放棄しました。結果、予想されていた戦後賠償をはるかに下回り、日本は戦後のスタートを切ることが出来たのです。

日本人はジャヤ・ワルダナさんに、何よりも仏さまの教えに救われたのです。当然、ジャヤ・ワルダナさんも日本に対して、わだかまりはあったはずです。それでも怒りに身を任せることなく、お釈迦様の教えを守り、行動で示したのでした。

日蓮聖人の遺されたお手紙にこのようなお言葉があります。
「地獄は地の下にあると書いてある経文もあります。仏さまは極楽浄土にいるという経文もあります。しかし、よくよくお経文を読み解いてみると、地獄も仏も私たちの身体の内に存在するのです。」

私たちの心には、怒り・憎しみに満ちた地獄のような心もあれば、人を思いやる仏のような心も同時に持ち合わせています。
怒りの炎は簡単に燃え広がります。その炎を吹き消すことは容易ではありませんが、それを心がけることが仏道であると思います。
日本を救ったジャヤ・ワルダナさんの言葉、仏さまの教えを胸に刻みたいものであります。

ディズニー映画に、メキシコの死者の日を題材にした「リメンバー・ミー」という作品があります。死者の日とは、年に一度、亡くなった家族やご先祖さまが帰ってくる日とされています。日本のお盆とよく似ているようです。

本作では、人の死は二度訪れるとされています。一つ目が現世における「肉体の死」。二つ目が死者の国における「魂の死」です。現世で肉体的な死を迎えたとしても、家族や知人が存在を語り継いでくれれば、魂は生き続けられます。完全に忘れ去られた時に二度目の死が訪れるというのです。

あくまで物語の設定上ではありますが、この死後の考え方には感慨深いものがあります。
自分が死を迎え、誰の記憶にも残らなくなってしまったらなんと悲しいだろうかと、私自身も考えてしまいました。年回忌の法事やお盆・お彼岸の意義を見つめ直す、素晴らしい作品でした。年齢問わずオススメします。

さて、お盆休みは年に一度ご先祖さまが家に帰る日であり、ご先祖様をお迎えし共に過ごす為にある休日です。しかし、近年ではバカンスを楽しむことが第一優先になっているように感じます。もちろん否定はしません。また、このような状況下、訳あって実家に帰省出来ない方は多くいるでしょう。ですから、ほんの少しで良い、どんな場所でも良いから、ご先祖さまに思いを馳せて欲しいのです。なんと言っても、ご先祖さまがいての私たちなのですから。

現在、多くの日本人の宗教観はかなり乱れています。結婚式はチャペルで行い、子供が生まれては神社へお宮詣り、亡くなってはお寺や斎場で葬儀と。ごちゃまぜ宗教になっているのが事実です。

そんな日本人が、古くから重んじ脈々と受け継いでいるのが「祖霊信仰」です。命をいただいたご先祖さまに感謝をし、お守りいただくという信仰です。この考え方は、中国や太平洋側の限られた国でしかないと言われています。これは、日本が誇るべき美徳・信仰ではないかと感じます。
一ヶ月ほど前、東京のお寺さんのお手伝いで、お経回りをしておりました。(もちろん感染症対策はバッチリです。)中でも印象的だったのは、九十歳で一人暮らしをしている、おばあちゃんとの会話です。五年前から毎年伺っているお宅だったので、すっかり顔なじみです。

「お元気そうでなによりです!」

と私が挨拶をすると

「は~い!。おかげさまでなんとかやっておりま~す!。こんな時期だけど、やっぱりお盆のお経を上げてもらわないと、落ち着かなくてぇ。でも、今日はお家の中が賑やかで嬉しいです。」

おばあちゃんは元気に答えてくれました。
でも、家には私とおばあちゃん以外誰もいないのです。もしかして、息子さん家族が帰ってくるのかな。と考えていると、おばあちゃんは続けてこう言いました。

「お盆でみんな帰ってきてくれている気がしますから!。今日は思い出にふけりたいと思いま~す!。」
そうか、亡くなった家族が帰ってくるから賑やかなのか。一人暮らしで寂しさを抱えるおばあちゃんにとって、お盆は特別で幸せな日なんだ。と分かりました。

お経を終えると、七〇歳からパソコンで作り始めたという、自作のエッセイ集を見せてくれました。そこには、エッセイを書き始めて間もなく、急逝したご主人への思いがありのままに書かれていました。

おばあちゃんが、お盆を心待ちにしていたのも分かった気がしました。まるで、七夕の彦星と織姫のようなものかも知れません。勝手な想像ですが胸が熱くなりました。

人生の大先輩からお盆の心構えを学んだ、東京でのお盆でした。

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