昔ある所に、地獄と浄土の見学に出掛けた男がいました。

四月十二日から約一か月間、日蓮宗信行道場の指導部の任を請け、お寺を留守にしていました。

信行道場とは、日蓮宗の正式な僧侶、いわゆるお上人になるための修行です。道場生には長年一般の企業へ勤め、一念発起して僧侶を志す方もいます。年齢層は下は二十三歳、最年長はなんと六十三歳という方も!(もはや雲澤寺の院首さんよりも年上です。)

私が入場したのは約八年前。当時は右も左も分からず、出来るだけ怒られないようにしようとか、目立たないようにしようとか、そんな事ばかりを考えていました。

信行道場の指導部は初めての経験でしたが、いざその立場になってみると教える側の方が大変だったように思います。道場開設のため半年も前から準備を進め、資料を作成し、定期的にリモートで会議をおこないました。期間中は修行者の体調管理、技術的な指導など目を配らせなければいけない事がたくさんあります。

普段は温厚な私ですが、時に厳しいことを言わねばならない場面もあり心苦しさも感じました。私が道場生だった当時も、先生方には厳しいことを言われたものです。時には細やかな指導から「あら探しをしているだけでは?」と思うことさえありました。

しかし、その厳しい指導の裏には「どうすれば良い修行になるか、日蓮宗の立派な僧侶になることが出来るか。」という温かい思いがあったのだと、立場がかわり実感として理解することが出来ました。

法華経の方便品には、「お釈迦様は相手の能力や個性に合わせて、さまざまな喩えや手立てをもって教えを説き続けてきた」という一説があります。優しい言葉、温かい心で常にいる事は大切です。

しかし、時に優しい言葉ばかりかけていては相手の為にならない。本当に相手の事を思うなら、嫌われる覚悟を持たなければならないこともあります。鬱憤を晴らすためでなく、あくまでもその心にあるのは慈悲。そのバランスは非常に難しいですね。

「鬼面仏心」鬼の姿と仏の心のはざまで葛藤した三十五日間。

私にとっても貴重な修行となりました。

雲澤寺では毎年八月十六日にお盆に合わせて、お施餓鬼の法要を執り行っています。

お施餓鬼とは、死後に餓鬼界という世界に落ちてしまったかも知れないご先祖様へ、ご供養する大切な法要です。餓鬼界とは、生前中に自分のことばかりを考え「あれも欲しい。これも欲しい!」と欲望に満ちてしまった人たちが行ってしまう世界と言われています。

仏教に伝わるこのようなお話があります。

昔ある所に、地獄と浄土の見学に出掛けた男がいました。

はじめに地獄へ行ってみると、ちょうど昼食の時間でした。食卓の両側には、地獄の住人たちがずらりと座っています。「地獄のことだから、きっと粗末な食事に違いない」と思ってテーブルの上を見ると、なんと、豪華な料理が山盛りにならんでいます。

それなのに、住人たちは皆ガリガリにやせこけています。よく見ると彼らの手には、長さ一メートルはあるであろう箸が握られていました。住人たちは、その長い箸を必死に動かしてご馳走を自分の口へ入れようとしますが、とても入りません。イライラして怒りだす者もいます。それどころか、隣の人が箸でつまんだ料理を奪おうとして、醜い争いが始まったのです。

「こんな世界は嫌だ!」と男は浄土へと向かいました。

ちょうど夕食の時間らしく、浄土の住人が食卓に仲良く座っていました。テーブルの上には地獄の世界と同じように、豪華な料理が山盛りにならんでいます。

「浄土の人はさすがに皆ふくよかで、肌もつややかだな」と思いながら、ふと箸に目を向けました。

なんと箸は地獄と同じように一メートル以上もあるのです。「いったい、地獄と浄土はどこが違うのだろうか?」と疑問に思いながら、夕食が始まるのをじっと見ていました。

すると、浄土の住人は長い箸でご馳走をはさむと、「どうぞ」と言って、自分の向こう側の人に与えたのです。

にっこりほほ笑む相手は、「ありがとうございました。今度はお返ししますよ。あなたは何がお好きですか」と言って、お互いに食事を与えました。

「なるほど、これが浄土の世界か。」と言って男は感心したという話です。

「浄土といい穢土というも土に二の隔なし。ただ我等が心の善悪によると見えたり。」

日蓮大聖人のお言葉です。

仏さまの世界も地獄の世界も、どこか別の世界にあるのではなく、私たちの心の中にあるという事です。

お施餓鬼はご先祖様の供養だけではありません。

生きている私たちが、私利私欲の心に陥らず、人を思う心を養うための法要なのかも知れません。

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