雲澤寺と日伝上人

雲澤寺は、日蓮宗の総本山身延山久遠寺の13代目住職、宝聚院 日伝上人ほうじゅいん にちでんしょうにんが、室町時代の1538年・天文てんぶん7年に創建したお寺です。

日伝上人は、龍がみ心安らぐこの地の景観に魅了され、
らくりゅうなおる くもに 天女てんにょつづみ こゆうれしさ」
と詩を詠まれました。

その詩が寺号の由来となり『安龍山 雲澤寺あんりゅうざん うんたくじ』という珍しい名がつけられたのです。

そして身延山の直末寺院じきまつじいんとして、富士川に沿った旧みのぶ参詣道中にあるこのお寺を、日蓮大聖人の教えを広める大事な布教拠点といたしました。

以来450年余、自然と調和し地域に親しまれるお寺として脈々と受け継がれています。

安ふ楽や 
龍の居なおる 雲の井に 
天女の鼓 聞こゆうれしさ

日伝上人

宝聚院日伝上人は、
日蓮宗総本山・身延山久遠寺十一代目の住職である
行学院日朝上人を師匠と仰ぎ、
自身も身延山の十三代目住職となり
身延祈祷流の祖と呼ばれる高僧です。

ある時、日伝上人はお釈迦様の真実の教えである法華経を体得したいと、
古くから修行の霊場として知られる標高1982mの七面山で厳しい修行に励みました。

修行7日目の深夜、枕元に法華経の守護神である七面大明神がお姿を現され、七合鍋を授けられました。

授かった七合鍋で炊いたお粥はとても美味しく、心身が清らかになり、
不思議なことにいくら食べても無くなることがありませんでした。

七面山を下りた日伝上人はお粥を分け与え、病に苦しみ多くの人々を救いました。

しかし、七合鍋は決して洗ってはいけないと言われていましたが、
それを知らない小僧さんがきれいに洗ったところ、残念ながら効力は消えてしまったと言い伝えられています。

雲澤寺では、本堂内にてお祀りしている七面大明神の正面には同じ大きさの鍋をお供えしており、
日伝上人のお像の左手は七合鍋をお持ちになっておられます。

ある時、日伝上人はお釈迦様の真実の教えである法華経を体得したいと、
古くから修行の霊場として知られる標高1982mの七面山で厳しい修行に励みました。

修行7日目の深夜、枕元に法華経の守護神である七面大明神がお姿を現され、七合鍋を授けられました。

授かった七合鍋で炊いたお粥はとても美味しく、心身が清らかになり、
不思議なことにいくら食べても無くなることがありませんでした。

七面山を下りた日伝上人はお粥を分け与え、病に苦しみ多くの人々を救いました。

しかし、七合鍋は決して洗ってはいけないと言われていましたが、
それを知らない小僧さんがきれいに洗ったところ、残念ながら効力は消えてしまったと言い伝えられています。

雲澤寺では、本堂内にてお祀りしている七面大明神の正面には同じ大きさの鍋をお供えしており、
日伝上人のお像の左手は七合鍋をお持ちになっておられます。