門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

早いもので、第一号の発行から一年が経ちました。昨年は例年以上にあっという間な一年間だったように感じます。令和三年は、皆さんにとってどんな年だったでしょうか。

「辛丑」年は、牛のあゆみのようになかなか前に進まず辛抱の年、というようなことを一年前のお便りに載せました。一昨年より続くコロナ禍の影響により、多くの方がもどかしい生活を送られたのではないでしょうか。

雲澤寺においても、二月の「報恩千部会」を始め、お盆・お彼岸の供養会など、諸行事のご案内ができず寂しい一年となりました。一刻も早く、マスクを外し笑顔で挨拶を交わす日常が戻ることを祈るばかりです。

さて、令和四年の干支は「壬寅」(みずのえとら)です。壬寅は厳しい冬を乗り越え、新しいステージに向かう準備段階にあたる年と言われています。まず「壬」は、「妊」に通じることから「エネルギーを蓄える」といった意味を持ちます。また「次の周期の準備期間」「厳冬」を表しているそうです。

寅は「螾(みみず)」に通じていて、作物の実りを助けるミミズが、土の中を動くイメージから「新しく動き始めた段階」という意味があります。また、寅は「誕生」や「大きな成長」を表す干支です。

このことから令和四年は、いよいよ厳しい冬を超えて、新たな成長に向けて動き出す段階に入る一年になる年だそうです。
こうように聞くと「状況が好転するのでは?」と、ついつい期待が膨らんでしまいます。この二年間で沈んでしまった社会や私たちの心が少しでも晴れやかになって、寅のように勢いよく盛んな年となるように、ご祈念を申し上げます。

「虎穴に入らずんば虎子を得ず」

今年はいろんな事に果敢にトライしていきタイガー‼
さっそく、柄にもなくダジャレにトライしてみました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

「トラ」というと、幼い頃にアニメで観た一休さんのトラ屏風の話を思い出します。

とんちで有名な小僧の一休さん。ある時、お殿様に呼ばれてお城へと行きました。
「屏風に書かれたトラが、夜になると抜け出して悪さをするから縛り上げて欲しい。」

お殿様から意地悪なことを言われた一休さん。
「それでは、トラを屏風から追い出してください。出てこないトラをしばる事は出来ませんからね。」

と言い返し、お殿様をビックリさせたというお話です。

一休さんのモデルとなっているのは、室町時代に実在した一休宗純というお坊さんです。アニメの一休さんでは、目がクリっとして可愛げのある顔をしています。しかし、本当の一休さんはとても自由奔放なお坊さんだったようで、数々の逸話が残されています。

「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」

この和歌は、一休宗純がお正月に詠んだと言われています。

約百年前までの日本では、数え年で歳を数えました。すべての人がお正月に一つ歳をとることから、新年を誕生日として祝ったのです。そのようなお祝いムードで一休宗純は、

「めでたいのう。あの世にまた一歩近づいたのだから、めでたいのう。正月に飾られる門松は、まるで冥土へと向かう道に築かれた一里塚みたいなものじゃ。」

このような意味の一句を詠みながら町を練り歩いたそうです。

しかし、この和歌には深い意味が込められていると言われています。

「人は誰もが必ず死をむかえる。それは今日かもしれない、明日かもしれない。生きることと死ぬことは、常に背中合わせである。みんなが一斉に年をとるお正月こそ、死というものをしっかりと認識しなければならない。」そのようなことを、一休宗純は言いたかったのだと伝えられています。

先日、お正月のお飾りを作っている時のこと。静寂に包まれた部屋に響く時計の針の音に、ふと意識が向きました。

「カチッ、カチッ、カチッ」
一刻一刻がむなしくも過ぎ去っている現実を、突きつけられている気がしました。あたり前ではあるけれど、この一瞬一瞬を大切に生きなければならない。ささいな出来事に改めて考えさせられました。

「一生空しく過ごして万歳悔ゆることなかれ」

日蓮聖人の教えです。

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雲澤寺は、山深くお世辞でもアクセス良好とは言えない場所ではありますが、喧騒を放れゆったりとした時間を過ごすことが出来ます。
緑と静寂に包まれた雲澤寺で、仏様の教えに触れてみてはいかがでしょうか。

気づかい・思いやり・心くばりを大切に。
皆さまのご参詣をお待ちしております。

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