令和八年二月二十七日~三月六日の一週間、念願のインドへ仏教巡礼の旅をしてきました。きっかけは、先に卒業を迎える学友からのうれしい誘いでした。
「卒業旅行どこかいきませんか?」
「んー、せっかくならインドにしない?」
とこんなノリです。とはいえ、昨年のタイと違ってインドはいろいろな意味で怖いイメージが…旅慣れしていない二人ではあまりに不安がある。ということで、今回はツアーに参加することにしたのです。
あれこれ調べてみると、著名な仏教学者の佐々木閑先生が同伴されるという、最高のツアーを発見。しかも添乗員さんは、四十年前に両親がインド旅行へ行った際にお世話になった方だったのです。な、なんという幸運!そんなこんなで、さまざまなお計らい、縁に導かれてのインド旅。
今回も旅行記としてまとめましたので、気楽にご覧くださいませ!

ただいま羽田空港第三ターミナル。時刻は午前八時。定食屋さんで美味しい日本食を食べている。これから仏教誕生の国、インドへと向かう。今回、私はある目標を立てている。それは…腹の気を維持すること。せっかくの仏跡参拝にお腹を下しては元も子もない。この時のために、毎食ビオフェルミンを飲んで腸活してきたのである。
九時に集合場所へ。今回のツアーは十八人が参加するようだ。年齢は二十代~八十代と幅広い。他宗派のお坊さんも参加されていて、交流を深める貴重なチャンスになる予感。
直行便、エア・インディアに搭乗。機内食のカレーは辛めだが美味しい。飛行機は、ヒマラヤ山脈に沿うように飛んでいる。窓からはエベレストの山頂がみえるではないか!
ナマステ。午後五時デリーに到着。日本との時間差は三時間半だから、日本では夜の八時半か。空港には、「ムドラ」といって、瞑想やヨガをする時の指の形をしたオブジェが並んでいる。

バスに乗ると添乗員さんからマーラーという花の環を首にかけてもらった。現地ガイドさんの名前はニイラジさんという。日本語で「青い蓮華」という意味らしい。蓮華は仏教のシンボル的な花。なんて縁起が良い名前なのだろう。

ホテルに到着。びっくりするほどゴージャス。ホテル周辺は日本の麻布や六本木みたいな街のようだ。夕食ではツアー参加者と会食。仏教談義に花ひらく。浄土真宗、臨済宗、上座部仏教。年齢も宗派も違うけど、みんな仏教が好きなことは一緒。知識をひけらかすのでもなく、仏教という大きな海原の中で、自分が知っていることを語り合う。とても気持ちがいい。良い旅になりそうだ。
食後は学友の小池さんと外に出てみた。インドに来てはじめての冒険。うん?なにかがおかしい…歩いて数分で目に痛みを覚え、やけにむせるではないか。花粉はないが明らかに空気が悪い。一時間も歩いたら目が開けられないほど涙がでた…後に話を聞くと、ニューデリーはインド人でも嫌がるほど空気が悪いという。あぁ、日本はなんてクリーンな国なのだろう。清子の空気が恋しい。いや、今頃あちらは花粉が舞っているのだった…

二十八日、二日目の朝。この日は国内線でお釈迦さまの悟りの聖地ブッダガヤへ向かう。空港でコーラらしきものを小池さんが買う。名前はマサラ・コーラ。独特な味で飲んだ瞬間インド人のような眼光鋭い顔つきになっていた。どうやら妙にしょっぱいらしい…人の顔というのは、日々食べたもので変わるのだと実感した。
十六時半、ビハール州ガヤ空港に到着。かつては遅延が当たり前だったエア・インディア。クリケットのワールドカップが行われる時は運航すらしなかったとか。インドの国民性が伝わってくる。
ビハール州は禁酒の国で、今の知事が選挙の時に公約に掲げたらしい。なんでもインド人は酒が好きすぎて、給料日に酒に金を使いまくってしまい家庭は困窮したという。そこで、十五年ほど前に立候補した知事は禁酒を公約にし、知事はそれ以来勝ち続けているのだとか。この州は貧しい人が多く、物乞いの方が多いそうだ。物やお金を与えると働く意欲を持たなくなるから、決して良いこととは言えないと説明を受けた。
ホテルスジャーターに到着。どうやら日本人観光客御用達のホテルのようだ。昨日のホテルほどゴージャスではないが、十分に休息はとれる。ちなみにスジャーターとは、お釈迦さまが六年間の苦行を止められた際に、お粥を供養した女性として伝えられている。お釈迦さまの命の恩人ともいえる方だろう。
夕食までの時間、ホテルの周辺を散策してみる。昨日ほど空気は悪くないが土埃がすごい。ホテル近辺には、日本寺という日本の僧侶が駐在しているお寺がある。
インドがイギリス植民地からの独立を成し遂げて間もない頃、インド政府は仏教紀元二五〇〇年を祝いブッダガヤを仏教による世界平和の本拠地とする宣言をして、各国に対して参集を呼びかけた。この思いに日本の仏教徒が賛同し、宗派の垣根をこえて建てられたのが日本寺だそうだ。

向かいには日蓮宗と書かれた看板が見え、近づくと尼僧さんがお堂に招いてくれた。一心寺別院という。なんとなんと、尼僧さんは身延山大学の恩師の友人であった。ありがたくも、ブッダガヤ近くの日蓮宗の御宝前でお自我偈を唱えさせていただいた。これぞ仏縁というべきだろう。恩師にも良い報告ができそうだ。
夕食では、日本寺駐在の臨済宗と浄土宗の僧侶の方と合流して自己紹介タイム。あらためてツアーの参加理由を聞くと、佐々木先生のファンが多いようだ。
「どんなにお金があっても、良い出会いがない人生は寂しい。私はその点そのつもりはなくても、恵まれている」
という佐々木先生のお話はとても印象的で、温かいお人柄が伝わってきた。誰と出会い、誰とともに歩むかを大切にすることは仏教の基本的な教えである。この旅は、佐々木先生のもと、仏教への深い関心と志のあるすばらしい方々が集まったと思う。

インドへ来てから、バイキングや飛行機の機内食と油こいものばかりで、ずっとお腹が膨れている。それでも、もの珍しさに色々な料理に手を伸ばしてしまう。少量のつもりでも脂が濃いものだから、胃への負担は予想以上だ。ツアー参加者の老僧がボソッと言った。
「私はインドに来たのは十度目ぐらいだが、初めて来たときに同伴した大学生は三日目でダウンしたのだよ」
明日を迎えるのが怖くなった…部屋に戻ると、老僧の言葉で目が覚めたかのように胃痛がする。三時間ほど横になりだいぶ治まった。このままでは残りの日々がもたない。
三月一日、三日目。しっかり朝食を抜いた。今日のはじまりは、日本寺で佐々木先生の講演を拝聴する。(講演の内容は印度山日本寺HPより閲覧できます)

講演後は、日本寺にて瞑想体験。「瞑想後には外の景色が変わってみえる」と言われたが、たしかにその通り。修行によって少しでも何かが変わったと感じることは大事だろう。
午後、三輪タクシー「リキシャ」でお釈迦さまの悟りの聖地ブッダガヤへ。リキシャはとにかく揺れがすさまじい。しっかり手すり捕まらなければ振り落とされる勢いだ。
スジャーターからの供養を受けたお釈迦さまは、ブッダガヤの菩提樹の下で瞑想し、修行を妨害する魔を払いのけ三十五日目で悟りを開いたと伝えらえる。

ブッダガヤは、十二世紀までは仏教徒の巡礼地であったが、十六世紀になるとヒンドゥー教の巡礼地として大きな塔が建てられた。つまり二つの宗教にとっての巡礼地となってしまっているそうだ。
大塔の周辺には、世界各国より仏教の僧侶や信者が集まっており、各々が自身の信仰の形でお釈迦さまに祈りを捧げている。私もお題目を唱えさせていただいたが、自分の信仰している仏教がいかに仏教全体の一握りであるかを思い知らされた。

しかし、さまざまな信仰へと発展した仏教が、同じ地に一堂に会しても争いがおきないこの空間こそ、仏教の本質を表しているのではないかと感じる。他の宗教ではこのような融和な環境は作ることができないだろう。改めて仏教の寛容さと優しさを感じた。
お釈迦さまが瞑想をされたという場所には、金剛法座という台座が置かれている。かつては近くまで拝することが出来たようだが、現在は厳重な柵がされている。その理由は、約三十年前に日本中を混乱に招いた新興宗教の教祖が、許可なく座ったことにあるのだとか。
道中の佐々木先生の解説はとても面白く、勉強になる。数年前に「マジ卍(マンジ)」という若者言葉が流行したが、卍は日本では仏教のマークとされているが、インドではめでたいマークとして使われているそうだ。経典とともに中国に輸入されたために、卍は仏教の象徴であると誤解されたらしい。
佐々木先生からの提案で、一行は尼連(にれん)禅(ぜん)河(が)を歩くことになった。尼連禅河は大きな川で、お釈迦さまが苦行を止められて沐浴をしたことで知られている。ちょうどこの時期は乾季ということで、干上がった河を歩くことができた。砂漠を歩く三蔵法師のような気分だ。

河を渡り切った後は、バザーを歩いてホテルまで各自で戻ることに。バザーといっても、ここで何かを摂取したら、回復しつつある腹も一撃でやられること間違いなし。見向きもせずひたすらホテルを目指す。
ホテルに到着。暑さにやられ、喉がカラカラになってしまった。こんな時のために秘密道具を用意してある。ポカリの粉とプロテインシェーカーである。脱水気味の体にポカリがしみる。ポカリと仮眠で㏋を回復したところで久しぶりに腹ごしらえ。インドの食事も少しは慣れてきた気がする。

三月二日、四日目。早朝より再びブッダガヤへ。この日は瞑想センターという大きな庭で、それぞれが思いのままに時間を過ごす。私もお自我偈とお題目をゆっくりお唱えし、その後は昨日の体験を思い出しながら瞑想をする。とても気持ちの良い一日の始まりとなった。
朝食後はバスで一時間半ほど移動をして、五世紀~十二世紀に発展していた、いにしえの仏教学問所、ナーランダー大学跡地へと向かう。かの三蔵法師、玄奘三蔵もこの地で仏教の研鑚に励み、その系譜はやがて奈良の興福寺や薬師寺へと繋がっていく。日本仏教にとって非常に重要な場所である。

かつては一万人の僧侶がこの地で修行に励んでいたのだとか。しかし、十二世紀にイスラム教の狂信者がこの地を破壊しつくし、すべての経典を燃やしてしまったという。いまは観光地となっているものの、とても痛ましい場所でもある。敷地面積はあまりに広大で、まだ調査が終わっていないようだ。
午後からは馬車に乗って次の目的地、竹林精舎へと向かう。乗車人数は五人まで。パカラ、パカラという足音がとても心地良い。

竹林精舎はこの地の王ビンビーサラが、お釈迦さまに寄進した場所とされる。つまり、お釈迦さまを始めとする仏教教団の生活拠点である。とても静かでのどかな場所だが、入口付近で待ち構える数珠売りがしつこい。
「先生、先生!数珠あるよ!」私の友人がどうやって日本語を勉強したのか尋ねた。物売りは言った「実践あるのみ」…すばらしい企業努力だ。
次の目的地までも馬車で移動する。しかし、ここでハプニング。私が乗った馬がエネルギー切れとなり路上で止まってしまった…飼い主に何度も怒られる姿を見ていると切なくなってくる。車でさえ故障するのだから、お馬さんは尚更だ。ホントにありがとう。
なんとか次の目的地、ビンビーサラ王幽閉の跡地に到着。王舎城の国王であるビンビーサラが実の息子アジャセに幽閉された「王舎城の悲劇」という場所で知られている。
お釈迦さまの弟子でありながら、お釈迦さまに敵対したダイバダッタという仏教教団を代表する極悪人がいた。ダイバダッタは自身がお釈迦さまを殺めて僧団のトップに立つことを目論み、お釈迦さまを慕う国王をアジャセ王子に殺めさせる反乱を企てた。アジャセ王子は実の父を幽閉し、国王は命を落とした。やがて、王となったアジャセはお釈迦さまの教えをうけ改心し信者となった。一方ダイバダッタは、仏教僧団の転覆の目論みが発覚してしまい、その罪から生きたまま地獄の底に落ちていったと伝えられている。
その後は温泉精舎へ。インドでは貴重な共同浴場だ。ここにきて、一番のカルチャーショック。なんてったって水が汚い。ほんのり紫っぽい水色みたいな不思議な色をしている。さらに恐ろしいのは入浴のシステム。温泉精舎は何階層かに分けられている。インドでは未だにカーストという差別思想が根強く残っているが、上の階層はカースト上位の人が、下の階はカースト下位の人が浴びる決まりになっているそうだ。
つまり、上の人が体を洗ったお湯で下の人は体を洗うのだ…夕食後に入浴希望の人は体験できると言われたが、だれも行く人はいないだろう。

三月三日、五日目。早朝四時半に起床して霊(りょう)鷲山(じゅせん)・ラージギルへと向かう。お釈迦さまが『法華経』を説いた場所であり、お釈迦さまが亡き後は、お弟子さんたちが集まって会議をした場所でもある。この地の景色を見るために、インドに来たといっても過言ではない。ちょうど夜空にはきれいな満月が浮かんでいる。
麓から山頂まで二〇分ほど歩いただろうか。山頂について岩に座っていると、太陽が昇り少しずつ空が明るくなってきた。
心地よい風に吹かれながら、様々なことに思いを巡らす。『法華経』に説かれる教え。弟子たちが集まって会議をする様子。また、かつてこの地にたどり着いた先人たちのこと。霊鷲山から眺める太陽は格別だった。この景色をしかと目に焼き付けておこう。

霊鷲山を後にし、八時間のバス移動。ガイドさんいわく、ずいぶん道は整備されて良くなったようだが、時おり驚くほど揺れる。そして、けたたましいクラクションは鳴り止むことがない。しかも、私たちを乗せるバスは逆走する時がある。途中のトイレ休憩で降ろされると、男性は空いている場所で用を足すように促された。この国では逆走も立ちションも当たり前なのだ。
インドに来てからというもの「こうでなくてはならない。こうあるべきである」という自我の絡まった糸がほどけていく感覚になる。インドにハマる人の気持ちが少し分かるような気がする。バス移動はなかなかに辛いものがあったが、酔う事もなく無事にベナレスのホテルへと到着した。
三月四日、六日目。今日はなにが起きるか分からない。年に一度のホーリー祭の日である。インドやネパールで行われるヒンドゥー教の春祭りで、春の訪れを祝って誰かれ構わず色粉を塗りあったり、色水をかけ合ったりして祝う日となる。ニイラジさんの話では、喧嘩相手でもこの日に「ハッピーホーリー!」といって粉をかけ合えば、仲直りできるのだとか。なんて素晴らしい文化なのだろうか。
とにかく粉まみれになるからと、現地の真っ白な民俗衣装クルタを着て我々も参加する。うーん。どうみても怪しい集団だ。
ニイラジさんの友人宅に到着。庭には椅子が用意されていて、みんなで円に座るとさっそく粉を顔にかけられる。最初は緊張したが、一度付けられればもうどうでもいい。いつの間にか童心にかえって楽しんでいた。
家の周辺を歩いて散策すると、無邪気な子供たちからたくさんの「ハッピーホーリー」をいただいた。いたずら坊主には、水鉄砲を使って顔面に色水を浴びせられる。自分が汚れることよりも、子供たちのキラキラした笑顔を見ることがとても嬉しい。家の周りを一周すれば、もうアート作品の出来上がりだ。

ご機嫌な人たちが音楽を流して踊り出し、小池さんも誘われた。小池さんの見事なコピーダンスに現地の人からは「アナタ、インドジン!」とお墨付きをもらっていた。しかし、一過性のテンションには反発が伴うものだ。しだいに言葉数は減っていく。これを「ハッピーホーリー疲れ」と呼ぶことにした。
もみくちゃにされたカラフル集団は、そのままの姿で次の場所へ移動する。お釈迦さまの初めての説法の地、サールナートの考古博物館へ。なんと、汚れたままで入館して良いというからビックリだ。油断をしていると警備員からも「ハッピーホーリー」を受ける。警備員はポケットに粉を忍ばせていたのだ。
この博物館には、仏教好きが憧れる仏像と彫刻が保管されている。特に、仏教に深く帰依したマウリヤ王朝のアショーカ王が、この地に建てたとされる石柱の上部に彫られた獅子の像は、仏教を象徴する像でありインドの国章となっている。

続いては初転法輪の地、サールナートへ。サールナートには象徴的なダメークという大きな塔が建てられている。塔をぐるっとひと回りしてから塔の陰でひと休み。寝そべってお釈迦様の説法の様子を思い浮かべる。

三月五日、いよいよ最終日。今日は早朝からガンジス川へ。バスで川の近くまでいき、安全な道を歩いて川へ向かう。
早朝のガンジスはとても静かな空間だった。ボートに乗って、ガンジス川から川沿いの街並みや沐浴する人々を鑑賞する。ガンジス川沿いには八百ほどのヒンドゥー教寺院があるらしい。ホーリーの翌日だからか、いつもより沐浴の人が少ないそうだ。
岸に降り、河川敷から日の出を眺める。ガンジス川とはこんなにも美しい川なのか。抱いていた恐ろしさなど全く感じられない。静寂と安らぎを感じる。全ての罪を洗い流すというガンジス川。インドの人々にとって、人生で一度はガンジス川で沐浴することが夢であるという。
帰りのボートでは、隣に座っていた方がいきなり川に手を突っ込んだではないか。何をしているのかと思ったら、正露丸の瓶に、ガンジス河の水を入れてお土産にするという…

無事、帰りの飛行機に乗ることができた。この旅を振り返ることとしよう。この旅に出る前、YouTubeでインドの情報を探してみた。その多くは「インドは危険」という過激な投稿だったと思う。果たしてこの旅は危険だったのだろうか。いや、そうではなかった。当然、安全に配慮されたツアーであるからに間違いはない。裏を返せば、危険を回避し十分安全に旅することができる国ということだ。かたよった情報をみて「インドは危険、水が危ない」というだけの認識で行くことをためらうのはもったいない。特に仏教者たるもの、一度はインドに行ってお釈迦さまが過ごされた空気を感じるべきだろう。
インドの人々の暮らしにはどこか懐かしさを感じた。インドは宗教の国と言われている。一方、日本では宗教離れが進み、目に見えるものや、コスパ・タイパ、実用性ばかりが追い求められている。その結果、心のゆとりや豊かさを失っているのではないだろうか。生活の豊かさが、心の豊かさに比例する訳では決してない。
特に仏教にとって喜びとは、欲求を満たす短絡的なものではない。自らがあらゆる経験を通して智慧を深くし、成長することであることを再認識することができた。
善き師、善き友に出会い、大いに楽しみ、大いに笑い、大いに学んだ旅であった。


